ノスタルジアの旅~独身時代編~

数日前に電車に乗って外を見ていると、今まで移り住んできた東京近郊の街々をもう一度見てみたい、という気持ちがわいてきました。そこで、この3連休のうち2日間で駆け足で辿ってきました。

遡れば高校を卒業して大学に入ったのが東京の第一歩。その後38年間新潟との行き来を挟みながら11カ所を渡り歩いていました。

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地図上の数字が住んだ順番。このうち1~5のオレンジ色の地点が独身時代での居住地域。緑色の地点が結婚後の居住地域です。

まずは独身時代の居住地域を辿っていきます。なにしろ38年前から26年前の頃ですから、建物も道もかなり変わっていることが予想されます。記憶だけをたよりに出発。かなりの強行スケジュールになるので朝6時に自宅を出ました。

①京成大久保時代(1年間)

日大生産工学部で電気工学を専攻することとなってこの地に来ました。後者の裏側の船橋市三山町に学生向けアパートを借りて一人暮らしの開始。

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津田沼駅から二宮神社行きのバスに乗り市営住宅バス停で下車。この辺は当時の記憶のままあまり変わってないかな。

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三山小学校は健在。だけど、周辺の住宅などはみんな新しくなって当時の面影はあまりない・・・というか当時の状況自体、あまり明確に思い出せません。通っていた銭湯はもちろん、理髪店、アルバイトでお世話になった酒屋などはいずれもなくなってました。

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だけどアパート地点まで行くとなんとそのまま残っているではないですか。修繕か何かなのかネットで覆われていましたけど、建物自体はそのままでした。この写真の一番右側の角部屋に最初住みました。半年ほど経って頃、左側の(パラボラアンテナが立っている)部屋に移ったのを思いだします。

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さて、キャンパス方面に戻ります。中まで入りませんでしたけど、図書館などそのままのようです。

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正門の向かい側には厳翠堂書店。ここで教科書を買いました。まだ教科書販売で生き残っているようです。

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正門前からまっすぐの道が延びていて、行き先は京成大久保駅。朝8時前頃なので誰も通っていなかったけど、でも商店も少なく昔より寂れているような気がします。

②北習志野時代(3年間)

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学生時代の2年目から北習志野に住みました。北習志野は新京成の中でも大きな方の駅ですが。今は地下鉄東西線乗り入れの東葉高速鉄道も延びてきて、駅舎も立派になりましたね。

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駅前通にある西友。当時からここにあったように思います。2千円をポケットに入れて、その範囲内で1週間分の食料を買っていったのを覚えています。

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友人が遊びに来ると自転車で北習志野駅に迎えに行って二人乗りでアパートまで連れて行ったのですが、この交差点に近づくといったん降りてもらいました。一応交番の前を二人乗りはまずいかなと。(よくそんな37年も昔のこと覚えているなあと思うけど)

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さて、肝心のアパートがあった地域に来ました。住所は船橋市坪井町。日大理工学部の裏手になります。このお店はうっすらと覚えています。ここで米を買っていたから。この角を左に入っていくとアパートでした。

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だけど、当時の雰囲気はまったくなし。こぎれいな住宅街になってました。もっと狭い道で道路も砂利道だったような気がします。歩き回ったのですが、ここ、という家を見つけられず、あきらめました。

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実は、当時は駅からかなり遠く学生向けのアパートがちらほらあるくらいだったのですが、現在は東葉高速鉄道の船橋日大前という駅が近くにできたんです。たぶんそれで宅地かも整備されたのでしょう。

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これがその船橋日大前駅。当時はこんなところ野原だったような気がします。

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駅前のロータリーに隣接して理工学部の正門が新設されていました。そうか、昔は北習志野駅から15分ほど歩いていたのが、今はこの駅直結でいけるようになったのですね。変わったものです。

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東葉高速鉄道はほとんどが東西線乗り入れとなっています。なので車両も地下鉄のものと自社のものが混在しています。この船橋日大前は地下駅になっていますが、ホームの端はもう地上近く明るくなっています。

③三ツ境時代(2年半)

大学を卒業していったん新潟に戻って地元の会社に入社しました。その後、電電公社(当時)の中途入社試験を受け転職し、再度東京生活の開始です。32年前の頃です。

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北習志野から三ツ境に向かう途中、横浜駅で相鉄線に乗り換えるのですが、相鉄線改札のあたりに立ち食いそば屋さんがありました。32年前もありました。この通りの先に昔通っていた横浜ギタースクールがあったのですが、そこに行く前にいつもここで腹ごしらえしていたものです。この日も昔のように天玉うどんを。味は変わらないような気がします。

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三ツ境駅もずいぶん変わっていました。大きな駅ビルにスーパーなどが入ってにぎやかです。当時は小さな駅でした。

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駅前から笹野台商店街をまっすぐすすみ15分ほど歩くと当時住んでいた独身寮です。

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寮があったと記憶している場所につきましたが、すでになくなっていました。現在はアパートになっていました。でもこの階段は当時の寮の玄関に続く階段でした。今もそのまま使われているようです。

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帰りはバスで。

④成城学園前時代(2年)

電電公社には2年間の社内教育を受けることができる制度がありました。受験に合格して第②の学生生活のような時代を成城学園で過ごしました。身分は会社員で給料ももらっているのですが、毎日は授業と部活で過ごし、なんと夏休みもありました。

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学園の最寄り駅は小田急線成城学園前。昔も今もおしゃれな雰囲気は変わりませんが、やはり駅ビルなども現在は立派になっています。そりゃ28年も経てば変わりますよね。

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個前団地行きのバス、ミニバスになっていました。中央電通学園前というバス停名は当時から変わらず。

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学園内は休日であり人っ子一人いませんでした。あいかわらず緑がきれいで整備された構内です。

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そうそう、この2号棟の3階の教室で毎晩2時間、ギターの練習をみっちり練習していました。陸上部とギター部に所属していて、ギター部は部長でした(笑)

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2年間でしたけど、暑い時間を過ごした場所です。

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裏口から出ると住宅と畑の静かな場所です。この通りは昔と変わらずです。

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ほどなく商店街に出ます。これは京王線の仙川駅の商店街です。ここは相変わらず賑やかでした。

⑤馬橋時代(2年半)

学園を出た後、千葉県松戸市の独身寮に移りました。最寄り駅は常磐線馬橋駅。今から28年前です。

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実は、馬橋時代のことはあまり明確に思い出せません。馬橋駅も当時からかわったのか当時のままなのかよくわかりません。なんでだろう。

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寮のあるところまではバスも出ているのですが、行きは歩いて行くことにしました。5分ほど歩くと水戸街道を横断します。実はこのへんもうっすらとしか覚えてなくて、ほんとうにここでいいんだよな」という確信が持てないまま歩いて行きました。

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そして独身寮があったと記憶しているところについたのですが、すでに寮の建物はなく、「医療モール」という名前の施設になっていました。でも実際の所本当にこのばしょだったのか確信が持てないのです。おおぼけをカマしている可能性もあります。

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でも帰りに乗ったバスは、やはりこれで通勤したと思われるバスで・・・

いやはや、わずか28年前の記憶ですが、あやふやなものです。

独身時代に過ごした地域はこれで終わりです。以上を1日で駆け巡りました。
次は結婚時代に移り住んだ地域を翌日回りました。

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