見附市街中東コミュニティが開催している歴史講座の3回目に参加してきた。
今回は「見附の偉人・文化人について語ろう」というテーマ。講師は淡路先生。
4人の人物にスポットを当ててお話があった。
■松岡茶山(まつおかさざん)(俳人)
見附市嶺崎に定住し、北越を中心に活発な活動をしていた俳人。
1694(寛政6)年に現在の山口県生まれ。俳諧の道に入り諸国をめぐっていたが、見附俳人たちの求めに応じて拠点を見附においたとのこと。自分の歌だけでなく、編纂句集や季語集などの発刊を多数行っている。
■村山半牧(むらやまはんぼく)(勤王家、画家)
三条出身の画家だが、長崎・京都・奈良などを遊学中に勤王の志士たちと付き合うようになった。帰郷後に新政府軍としての活動をしていたので、同盟軍が勢力を盛り返した際に追われる身となり、累が家族に及ぶことを恐れ、見附市元町で自らの命を絶った。
■入沢達吉(いりさわたつきち)(東京帝国大学病院長、医学部長、宮内省侍医)
1865(慶応元)年に新発田領今町で生まれた医学者。最後は大正天皇拝診を行うまでになった重鎮だが、常に郷土今町のことを心に留めていた。また、漢学にも精通しており晩年は中国で詩集を出版している。
■佐野良太(さのりょうた)(行政家、俳人)
坂井村の地主の家に生まれ、坂井村村長、刈谷田川大堰水利組合議長、今町助役、今町郵便局長などで活躍。その傍ら、地域の俳句の隆盛に貢献した。
また、江戸時代の茶山の句集原本や書なども展示され、江戸時代の見附に思いをはせた。
コメント