寄付という行為について

トレードをやっていると、トレードそれ自体が目的化していくことにちょっとむなしくなってくることがある。そんなこともあって、2年ほど前からユニセフと骨髄バンクに定期寄付を行っている。そろそろ今年も寄付金控除用の領収書が送られてくる頃ということもあり、この件について気持ちを整理してみたい。

最近読んだ本『チャンスがやってくる15の習慣』

『チャンスがやってくる15の習慣』
時間ができるとふらっと寄った書店でつい手にした本を買ってしまうということが多くなる。この本もそんな本の一つだ。  「~の習慣」というタイトルの本は多い。(あんまり読んだことはないが) この本は「コミュニケーション教本」と書いてある。また「1...

によると「人間は自分にしか興味がない」ということだ。

よく言われることだけどボランティアという行為は究極的には自己満足だといわれる。私もそう思う。だけどそれでいいと思う。ボランティアという行為それ自体の是非については個別の状況がいろいろあると思うので一概には言えず、ボランティアを「自己満足の偽善行為」的な言い方をする人も多いが、そういう気持ちも理解できる。

たぶん寄付行為も根は同じだと思う。私は寄付を行うことにより、自分の気持ちが救われてトレードで稼いでいることの免罪符(トレードが悪いことだということではなく方便です)的な位置づけにしているのかもしれない。

また、ユニセフや赤十字などの団体へお金を寄付することに対して「預けたお金が有効に使われるか保証できない」からという理由で避ける人もいる。ビル・ゲイツやバフェットのように財団を作って自分で具体的なお金の有効活用を行える人であればそれでいいのだろうけど、私自身を考えるととてもそこまで実現できそうもないし、仮に実現できたとしても時間がかかる。

今、自分ができることということで、非営利活動団体に寄付するということを選んで行動している。でたらめにお金が使われるかもしれないというリスクを現在できることと比較して現実的な解と考えたからだ。

ということで、当面はこの行為を続けていくことに自分の気持ちに揺れはないということをここと確認したかった。

コメント

  1. ハタふり川 より:

    「寄付」・・・「ヨリツキ」と読んでしまう私は病気かも。

    街頭募金の類は、思うところあってほとんどしませんが、、、。

  2. こくぴと より:

    でたらめに使われているかもしれないリスクがあるけど、有効に使われているとリターン(誰かの役に立つ)がある。どっちかわからないけど、リスクは小さい(自分の寄付金がなくなるだけ)から、期待値大ということで寄付する、って考えると合理的ですね。

    ちゃんと使われているかよくわからないっていうのは事実だけど、場合によっては、寄付を避けるための言い訳みたいになってしまうのかもしれませんね。

    ボランティアは自己満足でないとやってはいけないことだと思います。

  3. ブライアン より:

    ハタふり川さん、こくぴとさん、コメントありがとうございます。ちょっと心情吐露的な内容だったのでどうかなと思いましたがコメントいただけてうれしいです。

    >「寄付」・・・「ヨリツキ」と読んでしまう私は病気かも。
    なるほど、特にハタふり川さんを呼び込もうと思ってこういうタイトルにしたわけじゃなかったんですが(^^;)。「ヨリツキという行為について」ってタイトルでも山ほど文章書けますね。

    >ボランティアは自己満足でないとやってはいけないことだと思います。
    確かにそうですね。相手に好意を押しつけることは迷惑な行為ですもんね。
    このへんの行為ってバランスが難しいですね。

  4. なす より:

    >>「寄付」・・・「ヨリツキ」と読んでしまう私は病気かも。
    >なるほど、特にハタふり川さんを呼び込もうと思ってこういう

     今まで同じ漢字でありながらその様に読んだことが無かったので,素直に感心してしまいました(笑) おそらくその様な独自視点をお持ちの方だからこそトレードで成功されるのかと考えます。

    >今、自分ができることということで、非営利活動団体に寄付する

     動機や思想背景が何であれ,直ぐに行動に移されるだけでも凄いと思いますよ。
     自分自身はとある組織に寄付しようかどうか迷って結局まだ踏み止まっていますし・・・

  5. ブライアン より:

    なすさん

    社会への還元は自分の状況、立場、気持ちなどで、人それぞれやれることが違いますよね。