独身時代に過ごした地域を一日で巡った翌日、今度は結婚時代(現在まで)過ごした地域を巡りました。
まず大島から始まり武蔵藤沢、西葛西、門前仲町、人形町、そして現在の西高島平です。これらの地域は過去20年くらいなので、そんなにあやふやなところはなく、かつ地域も大きく変わっているところはそんなにないので、ノスタルジアから現実に覚醒するという感じでした。
⑥大島時代(26年前)1年半
結婚して都営新宿線大島駅にほど近い公団住宅借り上げの社宅に入りました。今思うと恐ろしく狭い部屋だったように思います。6畳二間にトイレ・風呂・台所だけでした。洗面所?ありません(笑)。なにしろ洗濯機は玄関に置いてたんです。おまけに5階なのにエレベーターはないときました。
だけど、都営新宿線大島駅徒歩3分というのはすごく便利でした。丸八通りと新大橋通りが交差する地点に大島駅はあります。
団地が建ち並んでいた地域に入ると、見事に生まれ変わってました。たしかに団地なんですけど思いっきり今風のエリアになってましたね。
一本裏に入るとそこはサンロード中の橋商店街。今は朝7時なので誰もいないけど、昼間はかなりにぎやかですよ。(きっと今も)
15分ほど北へ向かうと亀戸駅に行くことができます。亀戸駅の南側もサンストリートができてずいぶん変わったようです。
⑦武蔵藤沢時代(21年前)4ヶ月間
大島からいったん新潟へ戻って3年後、また東京勤務で戻ってきました。職場は三鷹だったのですが申し込んでいた社宅は西武池袋線の武蔵藤沢駅でした。
当時の武蔵藤沢駅はホームから改札に行くのに線路を渡っていくような田舎の駅だったんですが・・・ 今はご覧の通り見違えるようになってました。
おお!ヨークマート、まだありました。ただ、すごくきれいに広くなっている。当時は小さなスーパー程度だったんだけど。
と、思ったら、隣の区画に巨大なイーオンができてました。たしかここは安川電機の社屋があったと思ったけど。
ここの社宅はかなり広い敷地にいくつもの建物が連なっていて、巨大社宅と言えるほどでした。その場所に足を踏み入れましたが・・ 跡形もない。建て売り住宅群が集まっていて、高級住宅地っていう雰囲気の街に生まれ変わってました。
当時、遅くなりがちな職場だったので、夜遅くいバスが終わったりすると歩いたりタクシーに乗ったりで不便を感じていました。それで小手指駅近くに駐車場を借りてそこまで車で行ってあとは電車という通勤をやっていました。
だけど、だんだん煩わしくなってきて、わずか4ヶ月で出ることにしました。
⑧西葛西時代(21年前)3年半
それで、社宅は卒業して今回は自分で賃貸を探して借りることに。三鷹への通勤が電車一本で、なおかつほとんど座って通勤できるという東西線の西葛西に住むことにしました。
西葛西駅のエントランス。ずいぶん広々しましたね。当時はただのコンクリートの階段だった。
駅から葛西橋通りに向かって歩いて行くとダイエーがあったのですが、今はショッピングセンターになっていました。ただ建物や駐車場はそのまま流用ですね。
葛西橋通りに出るとドンキホーテの店舗がありました。昔はここはドンキホーテの会社があったのですが、店舗はなかった。この前にバス停があって、葛西駅から秋葉原駅行きのバスが通っています。よく利用しました、秋葉原に出かけるとき。
さて、初めて借りた賃貸アパート、ありましたありました。当時新築物件で入ったので今は築21年ですか。でもまだきれいですね。
すぐ近くにホームセンターの島忠があって便利に利用していたのですが、どうもヤマダ電機に衣替え中のようです。
西葛西駅に戻ってガード下のモールです。写真右手前はラーメン屋さんになっていましたが、当時はジャンデールという喫茶店がありました。「店内のもの人以外はすべて売り物です」と書いてある骨董品であふれた喫茶店だったんです。よく寄ったなあ。
⑨門前仲町時代(10年前)4年半
西葛西からまた新潟へ戻り、社宅~賃貸アパート~マンション購入と少し長い新潟時代を過ごしたのですが、2001年にまた東京勤務となりました。条件があっていれば自分で見つけた物件を会社が社宅扱いしてくれるということで探したのが門前仲町から徒歩5分の築30年のマンションでした。
江東区は水路が縦横に通っています。門前仲町からすぐのところも大横川が通っていて、通るといつも気持ちが和みました。
ありました、われらがマンション14階建ての14階に住んでたんですよ。眼下には隅田川から分水した豊洲水路が満々と水を蓄えているし、その向こう岸には佃島の超高層マンション群がきれいだし、夜は東京タワーはじめ夜景がとてもきれいでした。古いということをのぞけばすごくよいところでした。職場は海浜幕張だったので、目の前の越中島駅からラッシュと逆方向の30分座り通勤でした。よかったなあ。
この街は門前仲町という名前の通り、深川不動、富岡八幡宮という二つの寺社を中心になり立っています。この写真は深川不動への参道。この日もお参りしてきました。
⑩人形町時代(5年前)4年半
そして5ヶ月前まで住んでいた人形町を最後に訪ねました。今でもたまに用事があったりして行くことがありますので、ノスタルジアなんてものじゃないですけど、一応・・・
ちょうど人形町てんてん祭りをやっていました。商店街主催のお祭りです。
人形町はここ1~2年、人手がとみに増えましたけど、TBSのドラマ「新参者」のロケが大々的に行われたのがひとつのきっかけになったように思います。その第1回の舞台となった甘酒横丁にある煎餅屋さん、といいうより東野圭吾の原作のモデルとなった店舗だと思いますが、草加屋は改装工事中でした。
そして、その草加屋の目の前にあるのがこの地で暮らしていたマンション。当然健在です。もう新しい住人が暮らしているんだろうな。
甘酒横丁の突き当たりが明治座になります。今、大奥を公演しているようです。
明治座の前にある都営新宿線浜町駅で電車に乗り、西高島平へ。以上でノスタルジアの旅は終了。
約40年を駆け足で辿ったたびでしたが、その地を訪れるとその頃の気持ちがいろいろわき上がってきます。「こんなことがトラウマになっていたのかも」と思うようなこともありました。よく無事で生きてこられたものです(笑)
独身寮や社宅で無事にのこっているものは皆無でした。これも時代の流れを感じます。今は寮や社宅の時代じゃないのですよね。
その中で初めて学生時代に住んだ38年前の学生アパート(当時は下宿と読んでましたけど)が健在なのは驚きました。鉄筋コンクリート3階建てで丈夫だったんですね。うれしかった。
ふと思い立って始めた旅でしたが、よかったですこの目で確認できて。
あ、そうそう、1日目が23,000歩、2日目が13,000歩でした。
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