【山歩き】内山林道~桜峠~ちのみね城跡~高津谷高原~浦瀬(見附市、長岡市)

昨年、改築前の家の整理を行っていたときに見つけた小学校時代のアルバム。そこに小学校5年の時に遠足に行ったときの写真があった。昭和42年と思われる。懐かしい同級生たちの顔が並んでいる。 それはともかく・・・

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バックの看板の部分を拡大すると「高津谷高原観光案内」と書いてある

Takatsuya

この写真を見て以来、もう一度ここを訪れてみたいという気持ちが湧いてきた。今年になって山歩きを始めて、ぜひここを歩こうと思っていて、今日それが実現したわけだ。

場所は長岡市、見附市に渡って連なる東山連峰。以前登った鋸山は東山連峰の最高峰になる。2万5000分の1地形図を見ると「高津谷高原」という名称が書いてあり、その近くに369mと409mのピークが記してある。名称は記載してないが、ネットで調べると369mが「高津谷城跡」、409mが「ちのみね城跡」と呼ばれるらしい。

今回は新しいツールの試みも盛り込んだ。アウトドア用のGPS内蔵時計だ。ガーミン社のフェニックス5Xという製品。カテゴリーとしてはスマートウォッチに入るかもしれない。気圧、気温、磁石、心拍の各センサーを内蔵しており、肝心のGPSには全国の地形図、道路地図を時計内に内蔵しているという驚きの製品。詳しくは別立てで記事を書きたい。

下の画像は、帰宅後にデータを取り込んだ内容を表示したもののキャプチャだ。

距離、所要時間、平均速度、標高差、カロリーなどが先頭に表示され、地図上のコース、標高、速度、心拍数、気温の時間による変化がグラフで見ることができる。

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コースは見附市の椿沢バス停から始まる。上見附バスセンターから約15分で到着した。

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椿沢集落を奥に進んでいくと椿澤(ちんたく)寺という大きなお寺があり、その先から家屋もまばらになってくる。

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道路脇の流れも水が澄んでいる。

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「熊出没」の注意看板。見附市では昨年あたりから東山一帯で熊の目撃情報が多い。

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リュックから熊よけの鈴を取り出して取り付けた。これは三条の会社が制作したもので北陸道栄PAの売店で購入した。カウベルのようなカランというおとでなく、読経の際に鳴らす鈴(りん)のような風鈴のようなチーンという澄んだ音だ。

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流れもすっかり山の清流となってきた。

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「林道内山線起点」の標識。

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しばらくは林道を登っていく。地図で見るとこの林道は栃窪集落につながっているようだ。

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貯水池が点在する。砂防の意味合いもあるのだろうか。

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かなり山奥に入ったがそれでもまだ畑や水田があり、トラックで作業に来ている人たちをちらほらと見かける。

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これが冒頭で書いたフェニックス5X。いろいろな表示モードがあるが、これはあらかじめ登録しておいたトレッキングコースをナビしている画面。地図の下に6.83とあるのはゴール地点まで残り6.83kmということだ。

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5Xでルートは確認できるとは言え、紙の地図は必携だ。抽象度を上げた視点で現地点を把握するためだ。2万5千分の1地形図をコピーして胸ポケットに入れておいた。ルートは赤線で表示しておいた。フェニックス5Xを見ると常に方位が確認できるので、地図を見ても正しい方角が常に把握できてとても安心だ。また眺望がひらけたところではどちら方面の町並みや山々なのか地図ですぐに確認できる。

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いたるところにこんな注意書きが。ここは明らかに長岡市に入っていると思うのだが・・・

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ここで舗装が終了だ。後ろを振り返ると森の中からの道と合流している。今日は林道を登ってきたが、地形図には椿沢の集落からショートカットするように山道が書かれていた。その道とここで合流している。

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舗装は終了したが、クルマの轍は続いている。

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ちょうど1時間ほど歩いた。地図によるとこの分岐は桜峠というところ。真っ直ぐ進むとすぐに栃窪集落。高津谷高原方面はここを右折する。何も標識は出ていないが、フェニックス5Xと地図があればまず迷うことはない。

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東山連峰の尾根伝いに縦走している。しかし、どう見ても車道だ。たぶん東山油田で賑わっていた頃の名残だろう。

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相変わらず車道だが、草が生い茂って、誰も通っていないことを伺わせる。

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尾根道を30分ほど歩くと東西に走る道と合流する。左に行くと榎峠。榎峠は旧長岡市と栃尾市の市境。高津谷高原はここを右に折れる。

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ほどなく「高津谷レクリエーション地域」というわりと新しい感じの看板が見える。ここがちのみね城跡の登山口となり、さっそく登っていった。

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この周辺は東山油田として多くの採掘会社が出入りしていた時期があった。その穴がまだそのまま残っておりところどころに危険を知らせる表示がしてある。

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ひと登りするとちのみね城跡山頂(409m)。標柱はあったものの木が生い茂っており足元も草が生い茂っている。あの小学校時代の高津谷高原の看板はここだったのだろうか。いずれにしても現在は長居する場所ではなさそうだ。

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このあたりから今までの車道幅ではなく幅の狭い登山道になってきたこともあり、蜘蛛の巣がものすごい。道端に落ちていた木の枝を振り回しながら進んでいった。

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眺望がひらける場所があった。眼下に見えるのは長岡市街地。遠くには米山が見える。

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これから浦瀬町まで降りていくのだが、このルートは時折案内板が設置して
ある。このルートは「高津谷新道コース」というらしい。

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左手に見える山の緑が目に眩しい。この山は八方台方面の森立(もったて)峠だと思われる。ということはそのすぐ向こうに鋸山があるはずだ。

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右手奥から道らしきものが見えるがロープが張ってあり、侵入禁止のようだ。地図によるとここを進むと麓の加津保(かつぼ)町に至ると思われる。しかし、この荒れ具合を進んでいくのは無謀そうだ。

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道の起伏が激しくなってきた。そろそろ高津谷城跡が近い。この急登にはロープが張ってある。降りる際はロープがなければ危ないだろう。

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登りきると広場に出た。

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「史跡 高津谷城跡」とある。ということはここが高津谷城跡山頂(369m)だ。小学校時代の写真はこの広場かなあ。わからない。

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一応自撮り。

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標識を見るとほっとする。

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今までのルートは杉林が多かったのだが、このへんはブナ(?)林となっていて木漏れ日が気持ち良い。

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さらに20分ほど降りるとまた眺望の開ける場所が。見附市街の向こうに弥彦山が望める。

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三差路になった。地図によると真っ直ぐ行くと浦瀬町に出るようになっており、分岐のルートは書いてないのだが、標識は左に降りるルートが浦瀬町と書いてある。直進ルートは何も表示していない。ちょっと迷ったが、地図の通り直進することとした。

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直進して特に迷うことはなかったが、車道に出る登山口付近が杉の落ち葉や草に覆われており登山口の表示もなくここから入ることは難しそうなところに出た。先程の左折ルートのほうが現在はメインルートなのかもしれない。ここまで3時間15分ほど歩いた。あとは浦瀬の町を抜けて上見附行のバス停まで15分ほどだ。

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振り返ったところ。私は左側(水穴町から来ている)から歩いてきたのだが、右側のルートは林道のまま榎峠を経由して栃尾市街に抜ける道だ。さきほどの新しいルートの登山口もこの先にあるのだろう。

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その分岐交差点脇に碑が立っていた。

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「東山油田開祖の碑」と説明が書いてあった。昔はそうとう賑わっていたらしい。

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浦瀬の集落に入ってきた。

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ゴールの浦瀬バス停。椿沢バス停からちょうど3時間30分。すぐに10時52分発のバスがやってきて、自宅には11時過ぎに帰れた。ゆっくり風呂に浸かり昼食をとってからこのブログを書いている。

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