50年ぶりの佐渡旅行(その2)~相川・金山

きらりうむ佐渡でお勉強

相川に到着しまず向かったのは「きらりうむ佐渡」という施設。「佐渡金銀山ガイダンス施設」と銘打っています。

入場券を買って中に入ると、砂金、銀山、金山のそれぞれの発見、ひとびとの苦労、鋳造のしくみ、栄華衰退の歴史などを映像で学ぶことができます。これから金山を見るにあたってお勉強しておきました。

館内は撮影禁止でしたが、この巨大な小判(大判?)だけは撮影OKとのことでパチリ。

北沢浮遊選鉱場跡

この巨大な廃墟が北沢浮遊選鉱場跡。戦時下の時代に鉱石から不純物を取り除く「浮遊選鉱」という工程を担っていた工場跡ということです。よく写真で見るのはもっと廃墟感が強かったのですが、訪れたときは緑で覆われていて、少し雰囲気が違っていました。夜はライトアップされるそうです。

佐渡奉行所跡

相川の市街地を見下ろす場所にあるのが江戸時代の佐渡奉行所があったところ。佐渡は江戸時代は幕府直轄領地だったので、国(江戸幕府)の直営お役所といったところです。

江戸時代を含め何回か再建されてきたのですが、現在のものは平成6年に国史跡に指定されたのを受けて、発掘調査を経て資料保管の位置づけで再建されたもの。

勝場(せりば)という、金の選鉱を行う作業場。さきほど見たきらりうむ佐渡で上映されていた江戸時代の作業再現映像はここで撮影されたものでした。

京町通りと拘置所跡

奉行所跡から坂を上っていくと江戸時代からの古い通りになります。江戸時代は賑わっていた通りだったとのこと。

時の鐘。川越のそれを思い起こさせますね。

たまたまこの日は夕方から「宵の舞」というイベントが行われる日で、飾り付けがしてありました。この通りを踊りの列が練り歩くようです。

そして坂を上り切ったあたりにあるのがこれ「相川拘置支所」。この小さな入り口をくぐってはいります。

係員はだれもいません。見学者も私たちだけでした。

独房。3畳ほどでしょうか。廃墟が好きな方はどうぞ。興味津々です。

佐渡金山

そして佐渡観光のメインイベント、「史跡佐渡金山」です。入り口から右に行くと「宗太夫坑」で江戸時代の坑道。左に行くと「道遊坑」で明治期以降の坑道で、それぞれ別料金です。共通券を購入して割引料金で両方見学しました。

まずは宗太夫坑。50年前も見学した記憶があり、この動く人形が妙に印象に残っています。

当時からたぶん設備は新しくなっているのかと思いますが、相変わらず面白いです。

作業者たちの苦労が偲ばれます。「無宿人」もここにたどり着いたとのことですが、今風に言うと「ホームレス」ということになるでしょうか。

坑道を抜けると資料展示室。ジオラマが楽しませてくれます。

いったん外に出て改めて明治以降に掘られた道遊坑に入ります。こちらはトロッコの線路があり、ほぼ水平です。

途中で地上に出て、少し登ると道游の割戸のすぐ近くから見上げる場所に行けます。江戸時代に金鉱脈を見つけた初期に露頭手掘りを行った跡が道游の割戸です。

まだ線路が残っているところを歩きます。

そして売店を経由してカフェ前へ。金箔ソフトクリーム。

金箔コーヒー(雪室珈琲)と小判のソフトチョコセット。

本日はこれにて終了。佐和田のホテルへ直行。

(その3)へ続く。

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