山下和仁ギターリサイタル

 4月2日(金)、上野文化会館小ホールで行われた山下和仁ギターリサイタルに行ってきました。上野文化会館はずいぶん久しぶりです。十何年か前にマヌエル・バルエコやイエラン・セルシェルといったギタリストのコンサートがよくここを会場に行われ、ほとんど毎回聞きに行きました。(それらを主催したソティエ音楽工房は今はなくなってしまいました) 玄関ホールから小ホールにはゆるやかな勾配の廊下を上っていくのですが、文化会館で演奏した名演奏家たちのパネルを見ながら上っていくと、「これからコンサートを聴くんだ」という気持ちが沸いてくるのです。

 この日は「バッハリサイタル」と題して、ギターでふだんよく演奏されるリュート用の曲以外の曲を山下自身の編曲で演奏しました。
 私は山下の演奏を聞くのは(生では)3回目です。最初は山下が「火の鳥」「展覧会の絵」などをLPで発表して世の中を騒がせていた頃(20年以上前ですね)。当時の演奏はよく覚えていませんが、バリバリ弾くギタリストが現れたなという印象を覚えています。
 2回目は新潟でスペイン交響楽団とアランフェスをやったとき。このときの印象はとても鮮烈でした。しゃきっとしたメリハリのあるこんなアランフェスは初めて聴きました。清々しい後味を残してくれた演奏でした。

 そして今回、オールバッハというプログラムを聴いたわけです。
 まず演奏ですが、前から2番目の列で聴いたせいか音がダイレクトに聞こえました。山下のそのダイナミックな演奏は良くも悪しくもギターという楽器の限界を超えているようです。フォルテシモでは音はビビッています。ピアニシモでは聞こえるか聞こえないかのようなかすかな音です。音色もブリッジに近い位置での弾弦からフレット上にかぶさるように右手を持って行く甘い音までさまざまな音が聞こえてきます。良くも悪しくもギターというものを超えているようです。

 バイオリンパルティータ2番のジーグで聴かせるような圧倒的な早さには目を丸くするばかりです。でも実際に聴いているとそれが本来の早さだと思えてくるんです。とっても心地いいんです。
 帰宅してから手持ちのバルエコの同じ曲の演奏を聴いたのですが、物足りないと感じる演奏に聞こえてしまいました。大好きなバルエコの演奏なのにです。

 まあ、荒っぽいと言えばいえるのですが、それが必然的だと思わせてくれるだけものすごいと思います。「主よ、人の望みの喜びよ」では難しい曲ながら(この曲は難しいですよ)高音部のメロディーと低音部が見事に対比されて構成されていました。

 演奏もそうなのですが、この人のステージでの態度は恐れ入ります。ふつう演奏が終わったら客席に応える時は笑みを浮かべるものですよね。山下はステージに登場して演奏し終えてアンコールに応えて最終的に去っていくまでニコリともしませんでした。演奏し終わったときの顔はすこしゆるんだような気もしたのですが、それにしてもこのような演奏家は初めてです。初めのうちは異様に思えたのですが、終わり頃になってきたらその決して迎合しない首尾一貫した態度はさわやかささえ感じてきました。

 それと、これは演奏には関係しないのですが、ステージに登場したときにまずびっくりしたのは衣装です。黒いズボンに白いビロード上のシャツだったのですが、何となく裾のあたりがだらしなく外に出ていたり、ズボンもぴしっとしていなかったりで思わず「うんっ!」って思ってしまいました。

 以上をまとめると、『服装などには無頓着で、決して聴衆に迎合せず、ひたすら自分の音楽を見事なテクニックで表現する芸術家』といった感じです。とにかくこの夜はすがすがしい演奏を堪能させてもらいました。

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