村松街道をゆく

江戸時代、見附市の刈谷田川以北エリアは村松藩に属していました。
見附市の歴史に触れていると時折「村松街道」という言葉に出会います。殿様のいた村松との往来に使われた街道ということですが、参勤交代の折にもこのルートが使われたとのことです。

そこで、一昨年の新潟市へのロングウォークに続き、今回は見附市から村松街道をたどって五泉市村松まで歩くことを思いついたわけです。

■ルート調査

今はネットで検索するだけでいろいろな情報を得ることができとても助かります。
江戸時代の地図「正保二年越後絵図」を閲覧することができ、見附と村松を結ぶ大まかなルートを確認しました。概ね現在の国道290号線に沿っていることが分かります。

さらに加茂市教育委員会が発行している「かも市史だより」(平成15年9月)によると、参勤交代の時にどのように街道が使われたか興味深い記事が書いてありました。宿場は見附、長沢、鹿峠、黒水の4か所あり、参勤交代時は見附宿を朝立ち、地域の人たちが人馬を動員し、リレーで行列を支えたということです。

このような情報と、Googleマップにところどころ道路名として「村松街道」と記載されているのをもとに最終的なルートを作成しました。


それをスマホアプリ「スーパー地形」にトラック登録し、当日ナビしてもらうことにしました。


トータル40キロほど。当初時速5キロのペースで8時間を見込んでいたので、4時に出発してお昼には到着できるかなと予定を立てていました。しかし、実際に歩き始めて甘かったことに気づきました。

■早朝の出発

4月25日(日)早朝4:00に自宅を出発。

まだ外は真っ暗。

見附市の本町商店街を栃尾方面に分岐する上り坂が細越坂。当時の村松街道はこのルートでなく、もう少し元町側の山間を通ったようですが、道路が残っておらず今回は現代のルートで行きます。また江戸時代後期には観音山を刈谷田川方面に迂回し嶺崎町を通る道もあったようです。
この先で友人と落ちあい、今日のウォーキングは二人で歩きました。

■杉沢

見附市の東端に位置する杉沢地区に着いたのは5:20(1時間20分経過)。もう空はすっかり明るくなってきました。

杉沢という地名は江戸時代の地図にも記載があります。

「サケの自然産卵地」という看板が目を引きます。信濃川、刈谷田川を遡って、この支流の皮まで上がってくるのですね。

■赤坂峠

杉沢から下田方面に抜けるには赤坂峠を通ります。ここは切り通しになっていますが、江戸時代は少し西側の山間に道は通っていたそうです。

6:00(2時間経過) 峠を少し過ぎたところに石碑がありました。

「赤坂古戦場」という説明があります。

明治維新の頃の戊辰戦争で新政府軍が長岡を落とした後、会津藩や米沢藩との同盟軍がこの地で凄惨な戦いを行ったという跡地です。

いつも車で通り抜けるときは気づきませんでしたが、ゆっくりと説明を読み、当時の戦いの悲惨さがわかりました。
杉沢のあたりから雨が降り出し、赤坂峠越えは戦で亡くなった人々を弔うような雰囲気。

しばらく先には「駒込観音入り口」という案内がありました。駒込観音は先ほどの赤坂峠の説明書きによると、同盟軍の拠点が置かれたところということです。

■長沢

6:46(2時間46分経過) 古地図に記載のある「長沢」。現在でもこの地名は使われていて「長沢小学校」もありました。

国道290から左に分岐し、旧街道を歩きます。

菜の花がきれい。

五十嵐川沿いの国道に突き当たり、少し下流に下ります。

■鹿峠

7:40(3時間40分経過)国道290の広い橋の手前の橋で五十嵐川を渡り鹿峠(かとうげ)地区に入ります。

鹿峠を通る街道は国道290と五十嵐川の中間を抜けるようなルートになります。

どことなく街道の雰囲気を感じさせます。

鹿峠の街道沿いに樹齢270年の松があり、その陰にひっそりと「旧村松藩丹波街道鹿峠宿問屋跡」という案内が立っていました。東海道を歩くといたるところにこのような案内を見ることができるのですが、今日のコースで見れるとは思いもかけませんでした。保存してくださる方々、ありがとうございます。「村松街道」は「丹波街道」とも言われたようです。

■五十嵐神社

8:10(4時間10分経過)ほぼまっすぐな鹿峠の街道の先には五十嵐神社がありました。

「延喜式神名帳」に記載のある「伊加良志神社」にあたると言われている由緒ある神社。

鳥居をくぐり、階段をかなり上ったところに本殿と神楽殿があります。

派手ではないけれど、威厳のある本殿でした。

境内駐車場にはきれいなトイレがあり、助かりました。村松街道は山間を歩くコースなのでコンビニなどがなく、トイレ問題は大きいです。

■五輪峠

五十嵐神社から峠道に入ります。その名も五輪峠。

「鹿峠中学校」という門が道路わきにあり「われらここに学ぶ」という石碑がありました。以前はここに中学校ができるくらい人々が暮らしていたのですね。

街道を歩いていると「分校跡地」というようなところをよく目にします。こういう人々の生活を感じられるのは歩きならではだと思います。

8:50(4時間50分経過)さて、五輪峠(標高120m)に差し掛かるところでまた石碑がありました。「五輪峠隧道」というトンネルに関するもの。そこに刻まれている文章を読みやすく復元してあり、それによると、この峠は以前は険しい山道だったが、人々の交流を促進するために昭和28年に隧道を作ったそうです。

石碑の脇から奥に入ってみるとトンネルの入り口がありました。奥は閉ざされて入れないようです。

峠を越えて反対側にもトンネルの出口が。こちらはずいぶん整備されていると思ったら、JAによる農産物貯蔵庫として活用されているようです。同行した友人の話によると特産のサツマイモを貯蔵し焼酎造りに使っているそうです。

峠を越えて牛ヶ首という地区で国道290号に合流。

■歩道

道路を歩いていて、山間だと熊も心配ですが、もっと怖いのが通り過ぎるクルマ。みなさん結構スピードを出して山道を走ってらっしゃいます。

今回の国道290号線はほとんどを山間の道で占めているのですが、素晴らしいことに多くの区間で歩道が整備されています。近くに民家がなく誰も歩かないと思われるようなところもちゃんと歩道がありました。これはとても安心です。

10:05(6時間5分経過)そうこうしているうちに加茂市に入りました。江戸時代の地域名で言うと黒水です。

■黒水

11:40(7時間40分経過)「黒水」という地名は現在も残っていました。

ここは七谷(ななたに)郵便局のあたりから国道290から離れて加茂川を渡り集落に入るところ。

こんな山中に漁協がありびっくりしましたが、鮭ふ化場とのこと。

今回歩いていて、妙に目に入ってくるのは携帯の基地局。いたるところにあります。町の中はもちろん、山間でも目にしました。この写真はドコモの基地局のようです。これを全国網の目のように張り巡らすのは大変ですね。途中参入した楽天モバイルは大丈夫なのでしょうか。

■冬鳥越え

12:20(8時間20分経過)スキー場が見えてきました。

冬鳥越えスキーゲレンデです。ここには休憩施設と蒲原鉄道の電車がありました。加茂と村松、五泉を結んでいた神原鉄道はこの冬鳥越えスキー場の目の前に駅があり、多くの人で賑わったそうです。

面白いものを見ました。案山子です。4体の案山子が畑を守っていました。長靴を履いています。マスクをしています。両手に何かぶら下げていて風でゆらゆらしています。人間でもハッとするので、鳥や動物もびっくりするのでは!

■村松へ

13:00(9時間経過)冬鳥越えを過ぎると間もなく五泉です。五泉と言っても旧村松町。ゴールは近い。

村松に入ると旧街道は国道から外れたルートが多い。

ここも国道の下を潜り抜けるように旧道が残っていました。

14:20(10時間20分経過)さて、村松市街地もすぐそこというところで今日初めてのコンビニがありました。ファミマです。思った以上に時間を費やしているので、ここで昼食をとりました。レンジで温めるだけでかき揚げ蕎麦が食べれるんですね。便利すぎる。

村松市街地に入ります。町名案内も城下町の歴史を感じさせます。

城下町あるあるのクランク状の道路。

村松の中心地から分岐し「大手通り」を進みます。庁舎前には「大手門跡」という案内が。ゴールは近いです。

15:35(11時間35分)ゴールの「城址公園」にたどり着きました。お疲れ様。

スマホアプリによると

ということだそうです。休憩時間も含めてですが、平均速度はやはり4km/hですね。次回歩くとしたら無理のない計画にしたいと思います。
それにしても街歩き、街道歩きはやはり楽しい。歴史や人々の生活を感じられます。

コメント

  1. 追体験しているようで楽しかったです。知的好奇心+身体を動かしたから得られる実感がこもっていて、素敵な記事でした。大人の遊びですね!それにしても健脚!

  2. ブライアン より:

    おがわさん、どうもありがとうございます[E:#x1F49B]
    今回は企画を思いついた時からワクワクでした。
    記事には書いてないのですが、村松からどうやって見附まで帰ったのかも楽しみました。五泉コミュニティバス、磐越西線、信越線、見附コミュニティバスと乗り継ぐ旅もなかなかでした。

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