先入観

 クラシック音楽は同じ曲をいろいろな演奏家が演奏して、その個性を楽しむ面があります。もちろん曲そのものの魅力があるからこそそれぞれの演奏家の個性が出ます。
 そして、それぞれの演奏について、いわゆる名演と言われるもの、名演奏家の演奏したものなどは雑誌や新聞で取り上げられ、実際の演奏とは別に評論のイメージができあがることがあります。
 私はこれが怖いのです。
 というのは、優柔不断な性格というわけでもないと思うのですが、そのような周囲の意見に自分の感情が流されやすいからです。「すばらしい」「すごい演奏だ」「個性がにじみ出ている」などの評価が演奏を聴く前に意識に入っていると、純粋に音楽を聴くことができなくなるというか、色眼鏡を通して聞いてしまうという意志の弱さがあります。
 そのような評論がなくても、いわゆる名演奏家といわれている人の演奏を聴くときはやはりそれなりのイメージを持って聞いてしまい、純粋にその演奏を楽しむ前に意識の中でできあがったイメージを重ね合わせたような感じ方をしているような気がします。
 それがとてもいやなのです。
 自分なりの評価感がないだけなのかもしれませんが、他の人たちが「やはり・・・の演奏はすごいね」とか「さすが・・・だね」とか言うのを聞くと素直に受け入れれない自分があります。
 それで自分はどうしているかというと、最近はミュージックバードなどの音楽放送を事前知識なしに聞くことを楽しみにしています。突然聞こえてきた演奏が自分の心を揺さぶることがあります。何の気なしに聴いていた曲が妙に自分の感性にしっくりくることを意識することがあります。
 これらの感じ方がとても気持ちいいのです。先入観なしに音楽を楽しめる。「こんな演奏があったんだ」という感じ方を素の心で受け入れることができるのです。後でその演奏家を確認してみると一般的な評価では取り上げられることの少ない演奏家だったりすることがあります。そんなときはとてもうれしいですね。他の人たちとは違う自分なりの感性を見つけることが出来たといううれしさです。
 自分の意志が弱いということからくる事象かもしれませんが、自分なりの感性が確認できるこのような音楽との接し方が最近とても気に入っています。

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