のろまな私

子供のころからのろまだった。

それは還暦を過ぎた今でも何も変わっていない。しかしのろまなことも少しはいいことがあるかなと最近感じている。

学生のころから楽器演奏が好きでいろんな楽器をやってきたが、金管楽器でもギターでもピアノでもスピードがともなわない。
今、ピアノをYouTubeやこのブログに公開しているけど、知り合いからは「どの曲も同じ速さに聴こえる」とか「遅い!」とかっていう反応をいただく。でも、知らない人のコメントでは「丁寧に弾いていて気持ちが落ち着く」とか「弾いている人はきっと優しい人なんだろうなあと感じる」などと書いていただくこともある。
また、速く弾けないので自然に練習量を増やしてカバーすることになり、それだけ演奏を作り上げる喜びを感じることができるのではないかと思っている。

字を書くこともそうだ。字が下手なのだが、速く書こうとするとそれこそミミズが這っているようなわけがわからない字になってしまう。自然にゆっくりと書く。きれいではないが読みやすい字にはなると思う。それはそれで読み手にとって優しい感じを持っていただけるのではないか。

本も早く読めない。とにかく読むスピードが遅いのだ。昔は「速読」などにも挑戦してみたが一時的に速く読めるようにはなっても、理解しようとするとまたスピードが落ちてしまう。
これはどうだろう。読書している時間は楽しみだ。その楽しい時間を長く過ごせるということではこじつけか。今は時間もたっぷりあるし。

のろまと関係があるかどうか、私は口下手でもある。先日も経験したのだが、3人で会話していたとすると、私以外の二人で話は進み、私が口を挟むタイミングがつかめないのだ。
相手と二人きりで話をしているときは、これは妻から指摘されたのだが、相手が問いかけなりをしても私が返事をするまでの間に沈黙している時間があり、イライラするという。
なにしろ頭の回転が遅いので、何か問いかけられても相手の話を最後まで聞いて、そのうえでよく咀嚼して返事をするという動作になってしまう。
これも、イラつかせてしまった相手には申し訳ないが、相手の話を最後まで聞く、感情的にならず、相手のことを思いやった対応をするためにはしかたのない、自分のいいところでもあると割り切ることにした。

あげだしていくときりがないが、結局は自分らしさ、世界の中で自分が貢献できるためのものというのは、のろまな自分だからこそのところから来ているのかなと感じている。

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